速水健朗『ケータイ小説的。』

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

人は自分が理解できないものや、自分が知っている常識から逸脱している表現を、遠くへ押しやろうとしたり、モンスターに仕立て上げて攻撃したりすることがある。ケータイ小説とは、まさにそういう扱いをされたジャンルと言えるだろう。
ケータイ小説は、嫌悪感や排除の論理で扱われてきた。

という書き出しで始まるケータイ小説分析本。同じ趣旨の本はいくつか出てきたが、本書が最も核心を突いた評論だろうと思う。
舞台の地名が明かされていないほか、ほとんどの固有名詞が伏せられている中、唯一固有名詞として頻繁に登場する「浜崎あゆみ」を重要なキーワードとして紹介、初期ケータイ小説はまさに浜崎あゆみの歌詞のような世界観で書かれていると分析したことだけでも今までにない論点であり、高く評価したい。さらに漫画『ホットロード』や、雑誌「ティーンズロード」の投稿欄に連なる「ヤンキー文化」との共通項を見出している。
もう一つの新たな発見は、斎藤美奈子命名した「妊娠小説」という文芸理論に関した以下の文章だ。

妊娠をモチーフに扱う小説が「妊娠小説」であるなら、ケータイ小説のほとんとせは「妊娠小説」である。しかし、その多くは表面的には「望まれる妊娠」である場合が多い。ケータイ小説のヒロインの恋人たちは、多くの場合ヒロインの妊娠を望み、育てるための自己犠牲を口にするのだ。「やったじゃん! 産もうってか産め!」という『恋空』におけるヒロの言葉は、まさに近現代の小説におけるエポック・メイキングな出来事と言えるだろう。(174〜175ページ)