二冊の「ケータイ小説分析本」

杉浦由美子ケータイ小説のリアル』(中公新書ラクレ

ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)

ケータイ小説のリアル (中公新書ラクレ)

女性記者の目から取材したケータイ小説論。様々な側面からブームにスポットを当てている。
「ギャルズライフ」などの投稿欄や、斉藤美奈子『妊娠小説』と関連付けさせるのは『ケータイ小説的。』と同じ指摘だ。本書の中で、『ケータイ小説的。』の著者、速水健朗の別の本『自分探しが止まらない』に触れているのも、共通項をある程度感じているのかも知れない。
いくつか印象的な分析を引用しよう。

  • 本書では、この『恋空』が多くの女子中高生に読まれた理由を解いていくが、『恋空』を含める「ケータイ小説」が批判される理由の一つには、それが読者以外の大人には理解不能な内容の「閉じた」作品だということがある。(38ページ)
  • 母親が「これなら買ってあげてもいいわ」と安心するパッケージでなくてはならない。この点で、「ケータイ小説」書籍をみると、非常に工夫を凝らした可愛い装丁が多い。(76ページ)
  • なぜ、推薦コメントをするタレントの顔が載るのか。理由は「誰が書いたか」よりも「誰が読んでいるのか」が重要になるからだ。(78ページ)
  • 万が一、レイプされた経験を書く勇気ある女性作家がいたとしても、この『恋空』のような甘ったるい「レイプ」は描かないだろう。
  • 『恋空』が描く「レイプ」は大人からみたら少しも「リアル」ではない。(117ページ)
  • ケータイ小説は小説ではない」と主張する人も多い。

 だとしたら、『恋空』は一種の「自己啓発本」として売れたのだろう。(140ページ)

  • ケータイ小説の書籍は、美人が書く作品ほど売れる。美人には事件が起きるんですよ。彼女たちが書く作品は多くの読者の共感を得られる」(157ページ)
  • 自分のことを書くだけなら素人にもできる。しかし、「自分の物語」から離れることができるのがプロだということになる。(204ページ)


・伊東寿朗『ケータイ小説活字革命論』

今までの本は全て「ケータイ小説の外側」から見ていたが、本書は直接的な関係者=元「魔法のiらんど」プロデューサーによる分析本。大きな驚きをもって迎えられたブームにも冷静に向き合い、決して一過性のブームに終わらないことを主張している。なぜなら、ケータイ小説はここ2〜3年で生まれたものではなく、10年に及ぶ「潜伏期間」があったからだと言う。今後ブームが沈静化したとしても、若者の間ではずっと読まれ続けるはずの文化だろうと推測する。
意外なのは、ケータイ小説の本格的なブームの最初、Chacoの『天使がくれたもの』のことを、書籍化の話が決定するまで知らなかったことである。

僕はそのとき、『天くれ』の存在を知らなかった。それこそ、実際にケータイで小説を読んでいた若い世代から見ると「もぐり」であり、なんと浅はかであったか。(64ページ)

しかもこの書籍化、会社主導でも著者主導でもなく、読者主導だったそうだ。この作品がいかに胸を打ち、周囲が支持しているかを涙ながらに訴え、書籍化を熱望した一本の電話がきっかけだったという。これこそ、ケータイ小説が「仕掛け」ではなく「読者からの自発的なムーブメント」であったことの表れだろう。そして恐らく、出版社主導になった現在は、この空気は既にないはずだ。

最近の消費者は、ビジネスの匂いに意外と敏感で、そうした形が見えてきた瞬間に一気にしらけてしまうことがある。(105ページ)