荻原浩『明日の記憶』

明日の記憶

明日の記憶

最初は大したこととは思っていなかった。誰もが知っている俳優の名前が思い出せなかった。そんなのは誰にでもよくある「ど忘れ」だ。しかし事態は徐々に深刻になっていった。家の鍵を掛けたかどうかを忘れる、簡単な計算が出来なくなる、クライアントとのアポの時間を忘れる……。鬱病だろうか? 病院へ行った。簡単な問題を出された。幼児のIQテストじゃあるまいし、バカにするなよ――しかし、答えられなかった。今日が何曜日かすら分からなくなってしまったのだ。医師は言った。若年性アルツハイマーの初期症状です……目の前が真っ暗になった――。ここでくたばるわけにはいかないのだ。仕事は重要な局面にあった。一人娘の結婚を間近に控えていた。孫も産まれるのだ。私はこの病気と闘うことにした。
アルツハイマーが進行していく過程を、その当人の視点で描いた小説。読み進むのが辛い話なのに、いつの間にか作品世界に引き込まれている。身に詰まされるというよりは、怖い小説だ。これを読んでいる自分だって、もしかしたら明日にはこの主人公と同じ境遇に置かれるかも知れないのだ。渋谷の街で突然、ここがどこかが分からなくなる場面など、本当に恐ろしい。そんな主人公にとっての「明日への希望」は娘であり、産まれて来る孫であり、そして妻の支えである。当たり前すぎてなんとも思っていなかった身の回りの愛の姿に改めて気付かされるのだ。これは素晴らしい小説だった。読む機会が与えられて良かったと思う。
よおし、これで「本屋大賞」ノミネートを全作制覇したぞ。後は投票だ。