有川浩『海の底』

海の底

海の底

その日、米軍横須賀基地は基地内が一般に開放される「桜祭り」で賑わっていた。が、そこに停泊していた自衛隊潜水艦「きりしお」には関係ない。若き実習幹部の夏木と冬原が、艦内を騒擾させた(対テロ想定訓練を勝手にやったのだ)罰として腕立て伏せをやっていた。と、そこに緊急出航命令が出た。何事かと思う間はなかった。異変は既に起こっていた。艦の周囲、そして陸上を、無数の甲殻類――まるで巨大化したザリガニだ――が覆っていたのだ。逃げ遅れた人々が次々に「喰われて」いた。宿泊施設の外階段に、立ち往生した子供たちがいた。彼らを艦内に運んだものの、最後まで救助活動をしていた艦長は巨大ザリガニの餌食になった。艦内に、艦長の腕だけが残された――突然の事態に騒然とする横須賀。“彼ら”は一体何なのか、何故巨大化したのか、排除する術はあるのか、そして「きりしお」に残された2人の大人と13人の子供たちの運命は……。
『空の中』でその筆力をまざまざと見せつけ、「大人の鑑賞にも充分堪えられるラノベ作家」として注目された有川浩の第三長編。相変わらず、素晴らしい。いや、素晴らしいなんてもんじゃない。これを読まずして今年のエンタテインメントは語れない、とまで断言しておこう。だが出来れば「あとがき」は先に読まないで欲しい。「あとがき」の三行目に、この小説をたった一行で見事に要約した言葉があるからだ。私は最後に「あとがき」を読んで、ああなるほど、そういうことかと感服した。突然の事態に襲われた潜水艦での子供たちと自衛隊員の物語を軸に、潜水艦内部と外部で様々な物語が交錯する。どのシーンでもディテールの書き込みが素晴らしく、巨大ザリガニの正体から対処法までもが「ありうる話」になっているし、前半での亡くなって行く者への暖かな眼差し、ネット掲示板での情報交換、潜水艦や武器設備の描写など、どこもきっちりと読ませる。そして何よりも少年たちの描き分けが舌を巻くほどに巧い。唯一だが肝の据わった女の子(だが彼女には女性特有の「緊急事態」が起こる)、その弟が抱える「病」、集団に反発して外部に嘘情報を密告しようとする少年、そして仄かな恋愛感情……。ザリガニが嫌いな方にはトラウマになるかも知れないが、それが気にならない方には、実に充実した読書体験が得られることを保証しよう。絶対に読むべし。