辻村深月『凍りのくじら』

凍りのくじら (講談社ノベルス)

凍りのくじら (講談社ノベルス)

凍った海の中に沈んでくくじら。真っ白な氷の間から覗く底なしに青い海。芦沢理帆子の好きな色だ……カメラマンだった父・芦沢光が家族の前から姿を消して五年。高校生の理帆子は、周りの人たちの印象を「Sukoshi・F〜〜」と名付けることが好きだ。父も好きだった、かの「ドラえもん」の生みの親、藤子・F・不二雄先生が自らの作品に対して「SF」は「すこし・不思議」だと言ったことを踏襲している。そんな理帆子に「写真のモデルをやってくれないか」と話しかけてきた先輩・別所(「Sukoshi・Fukenkou」=「少し・不健康」)。母(「Sukoshi・Fukou」=「少し・不幸」)が癌で入院しており、「Sukoshi・Fuzai」(=「少し・不在」)で心が不安定だった理帆子は別所に癒されていく。しかし理帆子の元彼の司法浪人生・若尾(「Sukoshi・Fujiyuu」=「少し・不自由」)がしつこく近づいてきた。
まだ私は二作目(『子どもたちは夜と遊ぶ』)が未読なのだが、デビュー当時に較べるとストーリーテリングが向上しているのは間違いない。読みやすいし、分かりやすい。そして主人公の繊細な心の描写も巧くなっている。ただし、私みたいな中年男が読むと、やや厳しいかも。小説のタイプは全く違うが、島本理生の小説に感じたような「違和感」を感じるところもあって、女性ならシンクロする部分が多いのだろうけれど、男が読むとなあ、とも思ったりする。それと「ドラえもん」のモチーフはもっと作品内に大胆に取り入れても良かった気もする。なんなら「ひみつ道具」の効果に近いような現象を実際に起こすとか。あ、まあ、ラスト近くがそうと言われればそうなのかも。んー、なんか、自分でも何書いてるのか分からない支離滅裂な文章になってきた。「Sukoshi・Fumei」=「少し・(意味)不明」だ。