探偵小説研究会『ニアミステリのすすめ』

2つの異なったミステリを、ある視点から見た共通項をクローズアップして「ニアミステリ」として紹介・分析した書評集。以前から、こういう切り口で「○○ が好きな人なら××もお薦め」のようなことをやりたいと思っていたので、まさに私の目標としているような書評形態が本にまとまった感じ。
どれも面白いが、千街晶之の「災厄遊戯」という評論はとりわけ刺激的だった。
9.11テロの話から、「あの時、どさくさに紛れて個人的な殺人をした人はひとりもいなかったのだろうか」という、ややもするとかなり不謹慎な発言を紹介している。もちろんジョークのひとつだが、ミステリファンなら、「何か琴線に触れるものを感じるのではないか」「現実に発生した十把一からげの大量死の背景で、実は個的な犯罪が密かに行われていたのではないかという発想に、何故か私たちは惹かれてしまうことがあるものだ。この不謹慎な魅惑の存在について、まずは押さえておく必要がある」と続く。
ここから、タイタニック号事件をベースにしたカー『曲った蝶番』、第二次大戦を背景にした横溝正史犬神家の一族』が主論になる。どちらも、それぞれの出来事から決して長年経ってから書かれたわけではないのに、それらをミステリのトリックとして昇華させてしまう作家たちの発想力に触れている。

第二次世界大戦は、人類が経験した最大の惨劇である。しかし、この災厄が多くの探偵作家たちに齎(もたら)したものは、身も蓋もなく書けば「戦争って、探偵小説のネタとして使えるんだ!」という発見だったのだ。もちろん、『折れた剣』のチェスタトンのように、もっと早い時期にそのことに気づいていた作家たちもいたのだが。
(174ページ)

いまひとつは、市川尚吾の「詭弁トリックの系譜」。泡坂妻夫の短編「ダッキーニ抄」を採り上げていて、個人的にちょっと嬉しくなってしまったのだ。実は私もかつて(9年前だ!)「謎宮会」でこの短編の奇妙さを紹介していたことがあった。
http://tokyo.cool.ne.jp/meikyu/art99/msq9905a.html
さらに、ドラえもん自身が四次元ポケットに入って消えてしまうエピソードも双方が触れている点にも注目。やっぱり連想するところは同じなのだ。