保阪正康『あの戦争は何だったのか』

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

太平洋戦争とその前後の日本を総括し、何故戦争をしなければならなかったのか、その道を作った張本人は誰なのか、何故誰も戦争を止められなかったのか、を次々に指摘していく。
現在でも議論が絶えない問題点を、新書の分量で簡潔かつ明快に解いている。もちろんこれだけでは全ては理解できないだろうし、全く反対の意見・視点もあるのでこの本の内容を鵜呑みにするべきではないのだろうが、私自身、日本現代史はほとんど知らなかったりするので目ウロコな記述が多く、付箋を貼りまくってしまった。
太平洋戦争に向かっていった風潮の転換期が「二・二六事件」にあったと本書は指摘する。「テロの恐怖」は山本五十六近衛文麿をもおびえさせ、昭和天皇をも震撼させたという。「何をやるか分からない」軍には、誰も何も言えなくなってしまい、軍部の暴走を止められなくなってしまった。そして昭和15年の「皇紀2600年」で、全国民が天皇に仕える「神がかり的な国家」になってしまった。ここから終戦にいたるまで、どこか歯車が狂っていたとしか思えない国家像を浮き彫りにする。終戦記念日は8月15日ではなく、降伏文書の調印式のあった9月2日であることも意外だった。もっともソ連はそのドサクサで条約破りの侵攻とシベリア抑留を行ったのだが。
特に印象的な文章を引用する。

それで、日本人は、アメリカ軍が来たら「竹槍で刺し違える」などといっていたのが、一夜明けると、全てがリセットされてしまった。そしてその後は、見事に占領軍に治められてしまう。みな「アイ・ラブ・マッカーサー」に変わってしまえるのだ。昨日まで全国民の約十人に一人が兵士となり、アメリカ相手に憎悪をかきたてた戦いをしていたのが、まるでウソのように掌を返して好意的になってしまう。こんな極端な国民の変身は、きっと歴史上でも類がないだろう。
そのことを、悪いというつもりもないし、いいというつもりもない。ただ、それが日本人の国民性なのだと思う。
あるいはこうも言えるかも知れない。戦争の以前と以降で、日本人の本質は何も変わっていないのだと。
敗戦後のどん底生活から、高度成長を成し遂げた。その“集中力”たるや、私には太平洋戦争に突入した時の勢いと似ているように思えてしまう。つまり逆にいうと、高度成長期の日本にとって、“戦争”は続いていたのかもしれない。ひとたび目標を決めると猪突猛進していくその姿こそ、私たち日本人の正直な姿なのだ。(223ページ)