永嶺重敏『怪盗ジゴマと活動写真の時代』

怪盗ジゴマと活動写真の時代 (新潮新書)

怪盗ジゴマと活動写真の時代 (新潮新書)

大正初期、日本では「怪盗ジゴマ」という名の“悪のヒーロー”が大ブームになった。元々はフランスで作られた無声映画だが、封切りされるや、たちどころに人々は熱狂し、日本でのオリジナル続編、ライバル会社による類似映画、小説版などが次々に作られた。ついには上映禁止処分にまでなり、ブームは嘘のように去ることになる。江戸川乱歩も影響を受け「怪人二十面相」の着想の元になったと言われるほどの存在だ。当時の熱狂振りとその背景を追った作品である。
面白いのは、当時の世相を知るために全国の新聞記事を虱潰しに調べ上げ、ジゴマ関連の記事を拾い上げて紹介している点である。想像ではなく、あくまでも実際の報道を元に大正初期を「再現」しようとするのである。「ジゴマ」の映画を買い取ったのはマイナーな映画会社だった福宝堂だが、「ジゴマ」だけで突然メジャーになってしまう。しかし最初はお蔵入りになりかかり、たまたまプログラム編成に困った時に「場繋ぎ」で上映したというのだから、どこにブームが転がっているやら分からないものだ。福宝堂は続けて「ジゴマ後編」「女ジゴマ」「悪魔バトラ」などを上映、ヒットさせる。するとライバル会社は「日本ジゴマ」「ジゴマ改心録」「女バトラ」などのオリジナルを製作・上映する。こんな便乗商法は今も昔も同じなのだ。
ジゴマブームは映画都市・東京が中心で、地方では当初決してヒットしたわけではなかったようだ。それを一気に押し上げたのは弁士・駒田好洋による巡業隊であった。映画そのものよりも、駒田好洋の語りを聴きたいがために「ジゴマ」を観に集まる、という状況だったらしい。「頗る非常に〜〜」のフレーズを多用したため「頗る非常大博士」の異名を取った駒田好洋という人物についても頗る非常に興味が沸いてくる。
小説版も多数発刊されたジゴマのブームは、子供たちが「ジゴマごっこ」で遊びはじめ、さらにジゴマに影響されたと思しき犯罪が発生するに及んで急速に上映禁止の方向に進む。子供たちへの悪影響の危機意識から排除されていく過程もまた、現在となんら変わらない。ジゴマブームは、メディアミックス・便乗商法・過剰な道徳観による上映禁止、全てにおいて近代娯楽メディアの先駆者であったのだ。