堀井憲一郎『落語の国からのぞいてみれば』

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書)

古典落語は江戸時代が舞台になっていることが多いが、それらの題材、内容から見える江戸時代の民衆の生活習慣。時代小説も時代劇もそれなりに風俗は分かるが、ここまで身近なものはなかなか分かり難いものだ。

・満年齢は大人になるとほとんど意味がない。昔は数え年が普通だったし、それで充分だった。誕生日を知っていたのは貴人くらい。
・時間は「八ツ」「六ツ」などと言われていたのは知られているが、正確に「八ツ=2時」とかの感覚は間違い。「昼」を6つに、「夜」を6つに分割して表現していたので、昼と夜とで時間の間合いも違う。
・名前は個人のものではなく、「社会的地位」に付いていた。だから落語家、歌舞伎役者、お茶の師匠は「襲名」によって継がれている。
・お金の感覚もざっくりしている。一万両はホラ吹き、千両はファンタジー十両は大金。
・「一里」は人が(現在の時間感覚で)一時間で歩ける距離が目安である。「一里塚」を通過するごとに一時間、と考えると、長距離歩くのに便利だ。(著者は実際に東海道を歩いた経験があるらしい)
・相撲は「力自慢の興行」だった。番付に出身地が書かれているのは、「全国から力自慢が集まってますよ」という意味。昔の相撲は巡業先での「飛び入り」も可だった。
・左利きのサムライはいなかった。立川志の輔は左利きだそうだが、高座では右利きでやる。「柳田格之進」という噺で刀を抜くシーンがあるが、左で抜くと客の意識が「あ、志の輔は左利きなんだ」という方向に向いてしまうからだ。
・旧暦は「その夜が明るいかどうかを示したもの」だった。

などなど、目からウロコが落ちるような情報ばかり。名著である。
巻末には、詳細な参考文献と、題材となった落語の噺とお薦めCDの紹介まである。痒いところに手が届く絶妙な構成だ。