岡嶋二人(&井上夢人)の最高傑作は『おかしな二人』である

岡嶋二人は1982年に『焦茶色のパステル』江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。ペンネームから分かるとおり、徳山諄一と井上泉という二人の人物による合作形式のミステリ作家だった。1989年のクラインの壺をもって「岡嶋二人」というコンビは解消された。その活動期間はわずかに7年間である。私は岡嶋二人がデビューした直後くらいにミステリにどっぷり嵌っており、岡嶋二人は大好きな作家だった。なので、その活動期間を数値にされると、妙な違和感を覚える。もっと活躍していたような気がしてならないのだ。


コンビ解消後は、井上泉は井上夢人というペンネームで現在も活動している。一方の徳山諄一は、一時期TV番組「マジカル頭脳パワー」の推理クイズの作成ブレーンだったことがあるが、それ以降、あまり活動はしていない。


近年、『99%の誘拐』の文庫が書店で再評価されたりもしたが、やはり過去の作家になりつつあるのは感じる。新作が出ないのだから仕方のないことだと思う。岡嶋二人の現役時代でも、ミステリファンの間では、「アヴェレージヒッターだが、飛び抜けた傑作がない」と言われていた。ぶっちゃけ、あまり売れなかった作家だったのだろうと思われる。もちろん、現在でも読まれるべき傑作はいくつもある。先に挙げた『99%の誘拐』は「人さらいの岡嶋」という異名を持っていた岡嶋二人のアイデアがふんだんに織り込まれた誘拐ミステリの傑作だし、『あした天気にしておくれ』『チョコレートゲーム』『そして扉が閉ざされた』『クラインの壺は今読んでも驚ける傑作である。
ちなみに「人さらいの岡嶋」という異名には、続きがある。「バラバラの島田」だ。当時、死体をオブジェのように扱い、バラバラにしまくっていた島田荘司を指している。新保博久さんが名付けたと記憶しているのだが、違っているかもしれない。
私は岡嶋二人の小説の最高傑作は、『あした天気にしておくれ』だと思っている。

あした天気にしておくれ (講談社文庫)

あした天気にしておくれ (講談社文庫)


井上夢人さんは、『ダレカガナカニイル・・・』がソロ第一作目で、その後も非常に面白いミステリを発表し続けている。最近文庫でヒットしたラバー・ソウル』『The Team』などの傑作がある。個人的には、『風が吹いたら桶屋がもうかる』も忘れられない。

風が吹いたら桶屋がもうかる (集英社文庫)

風が吹いたら桶屋がもうかる (集英社文庫)


そんな井上夢人さんの最高傑作は何か。いや、岡嶋二人時代も合わせても構わない。岡嶋二人井上夢人の作家キャリアの最高傑作として、わたしは断然、おかしな二人を紹介したいのだ。

おかしな二人 (講談社文庫)

おかしな二人 (講談社文庫)


おかしな二人』はサブタイトルに「岡嶋二人盛衰記」とある。これは、井上夢人さんが、岡嶋二人時代を振り返った回想録なのだ。前半は徳山諄一との出会いから、作家を目指して江戸川乱歩賞に応募をはじめ、何年かの挫折を経て『焦茶色のパステル』で受賞にいたるまで。そして後半はプロ作家になってから、岡嶋二人を辞めるまでが描かれている。プロデビューまでが「盛の部」で、デビューしてからが「衰の部」になっているところに注目したい。あれだけ憧れて何年も苦労した末につかんだプロ作家の道。そのデビューからが、実は転落の始まりだったというのだ。「衰の部」は小説現代の増刊号での連載だったが、この回想には少なからず衝撃を受けた。あんなに面白い作品を次々に発表していた岡嶋二人が、こんなに苦しみながら自転車操業のように発表していたなんて、と。ちなみにこの「衰の部」が連載されていた小説現代増刊号は、のちに「メフィスト」という誌名になる。


おかしな二人』は、特にミステリ作家を目指す人にとっては二重の意味で読む価値のある作品だ。ひとつは、この作品全体が「ミステリ小説の書き方」指南書になっていることだ。デビュー前の「盛の部」から、どうやってアイデアが生まれ、それをどう膨らませていったか、が事細かに書かれている。デビュー後はそれを常にやり続けなければならないことになるが、ネタをどう作り、どうやって面白くしていくかの作業が詳細に解説されているのだ。しかもその結果としての作品が残されているのだから、理想的な見本を読むことができるのである。ただし、かなりの岡嶋二人作品の「ネタバレ」になっていることは留意しておきたい(当たり前ではあるのだが)。


そしてミステリ作家を目指す人にとってお薦めできるもうひとつの理由。それは「プロ作家の厳しさ」が実感できるということだ。「衰の部」の冒頭、江戸川乱歩賞を受賞して講談社を訪問した二人を前にして、編集者が「受賞後第一作」を発注する場面がある。60枚の原稿を1週間で書いてこい、と言われて呆然となる二人。これから常に締切に追われる生活が続くことを痛感するのだ。これが現実である。それがプロ作家なのだから。


そして私のような「岡嶋二人のファンだった人」には、なんとも言えない哀しさを覚える作品でもあるのだ。これは「岡嶋二人」の内幕暴露話でもある。二人はコンビ作家であるがゆえに「どうやって二人で書いているのか?」と訊かれることが多かったという。本書ではその秘密が明かされているのだが、基本的に徳山諄一は「アイデアマン」に過ぎず、アイデアを形=小説にするのは井上泉の仕事だった。それを二人で推敲していくのが基本だったらしいのだが、その徳山のアイデアがなかなか出てこず、井上は何度かブチ切れる。当時始まったパソコン通信を連絡手段として使い始めるが、それでも遅々として進行しないスケジュールに苛立ちを覚える井上。そんな徳山が「一年で8作出す」という無茶苦茶なプランをぶち上げるのだから愕然とする井上。そんな井上が一人になる機会が増え、そのうち井上自身がアイデアを思いつき、それを膨らませていくケースが出てくる。井上のアイデア主導で生まれていったのが、岡嶋二人晩年の傑作『そして扉が閉ざされた』『クラインの壺』になっていくのだ。


やがて終わりは唐突に、驚くほど呆気なく訪れる。その経緯はぜひ本書をあたっていただきたいが、あの岡嶋二人がこんな状態だったなんて、そしてこんな形で終わってしまうなんて、というやり切れない思いが残るのだ。


最後のシーンは、コンビ解消前に約束していた週刊誌の連載を、どちらが担当するかを決める場面である。

 僕は、目の前のテーブルからマッチ棒を取り出した。中のマッチ棒をテーブルにあけ、適当につかんで徳山を見返した。徳山はうなづき「偶数」と言った。
 ひろげてみると、僕の右手がつかんでいたマッチ棒の数は奇数だった。
 それで、連載は僕が引き受けることになった。編集者たちは、あきれたような顔で僕たちを見ていた。(文庫版623ページ)

なんとも言えない虚しさが残る印象的な場面である。でもここで、もし徳山さんが書くことになっていたら、果たしてどうなっていたのだろう、とも思ってしまうけれど。