井上真偽『その可能性はすでに考えた』をきっかけに振り返る、「毒チョコ」ミステリの名作たち
井上真偽『その可能性はすでに考えた』(講談社ノベルス)を読みました。
- 作者: 井上真偽
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 新書
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ある新興宗教で起こった教祖を含めた集団自殺。その事件で唯一生き残った少女が、そこで起こった「奇蹟」の真相を知りたい、と探偵・上苙丞(うえおろ・じょう)の元を訪れます。上苙は「奇蹟」を信じており、その出来事も奇蹟だったというのですが、それを否定するように次々と「論理的推理」が提示されます。上苙はそれらの推理を一つ一つ論破、「その可能性はすでに考えた」の名台詞とともに葬っていくのです。果たして事件の真相は? それは本当に「奇蹟」だったのか?
というストーリーを紹介すると、なんとも言えない「講談社ノベルス」感が漂います。もうまさにその通りで、いかにも講談社ノベルスが出した作品らしい世界で、驚くというよりも、読んでるとニヤニヤしてしまうようなタイプの小説です。
本書の醍醐味のひとつは、一つの出来事に対して、次々に新たな推理が展開されることにあります。それは一旦否定されるのですが、ではこれならどうだ、と新たな角度から違った推理が展開されます。こういうのをミステリの世界では「多重推理」もの、などと言いますが、特にマニアたちの間では「毒チョコ」と呼ばれることがあります。このタイプには有名な先例がいくつもありますが、特に有名な作品こそが、「毒チョコ」なのです。
「毒チョコ」、正式な作品名は『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫)。アントニイ・バークリーの代表作のひとつです。
- 作者: アントニイ・バークリー,高橋泰邦
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2009/11/10
- メディア: 文庫
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元々は「偶然の審判」という短篇だったものですが、それを長編化したものです。短篇と長編では多重推理の数が違い、真相も変わっているのがミソです。
日本での有名作品は、中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫)でしょうか。
- 作者: 中井英夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/04/15
- メディア: 文庫
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- 作者: 中井英夫
- 出版社/メーカー: 講談社
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いわゆる「アンチミステリ」「黒い水脈」と呼ばれる日本3大ミステリのひとつで、ミステリへのアンチテーゼ的な世界観ばかりがクローズアップされがちですが、作中で起こった事件に対し、登場人物たちが何度か推理合戦を繰り広げる場面があり、それはまさに多重推理ものと言えるでしょう。
多重推理ものの作例はたくさんありますが、いくつか代表的なものと、最近の注目作を以下に紹介します。
・コリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』(ハヤカワ文庫)
- 作者: コリンデクスター,大庭忠男
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1989/12/01
- メディア: 文庫
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これも超有名作。「キドリントンから消えた娘は、生きているのか、死んでいるのか?」……モース主任警部の推理は二転三転どころか、四転五転……いったいどっちが真相なのか。読んでるうちに眩暈を覚えるはずです。。
- 作者: 貫井徳郎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2003/01/24
- メディア: 文庫
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このタイプの最高傑作だと私が思っているのが本書。本書の趣向については未読の方を配慮して詳しくは言えないのですが(ただの多重推理ではないのですよ)、私が初読の時、寝転がって読んでいたら、2話目の冒頭で思わず起き上がってしまった、というくらいの作品なのです(なんのこっちゃ?)。
・西澤保彦『聯愁殺』(中公文庫)
- 作者: 西澤保彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2010/09/22
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これもかなり捻くれたミステリです。無差別殺人事件で生き残った被害者がその事件の真相を求めて推理集団の元を訪れます。それをネタに推理合戦を繰り広げるメンバーたち。次々に披露される意外な真相に眩暈がしてくるような作品です。
・深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』(原書房)
- 作者: 深水黎一郎
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2015/06/30
- メディア: 単行本
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本書は最近発表された話題作であり、これまた相当に捻くれています。年末に放送され大人気を博している公開推理TV番組で、出演者たちが事件を推理していきます。分かった時点で解答可能、正解なら賞金20億、不正解ならそのまま退場。果たして真相は!? 本作全体が「多重推理」もののアンチテーゼになっているような作品でもあります。
なんとなくですが、近年の「毒チョコ」系作品は、ミステリのパロディの性質が高くなっているような気がします。『その可能性はすでに考えた』も、そんな方向性の極北なのかも知れませんね。