TVには映らない、AKB48グループの知られざる活動……『AKB48、被災地へ行く』

今回は岩波ジュニア新書の新刊、石原真『AKB48、被災地へ行く』を紹介します。

AKB48、被災地へ行く (岩波ジュニア新書)

AKB48、被災地へ行く (岩波ジュニア新書)

これは、東日本大震災発生から2ヶ月後に始まった、AKBメンバーによる被災地訪問活動を、多くの写真とエピソードを交えて紹介した本です。著者の石原真さんは、NHKのプロデューサーとして、「MUSIC JAPAN」や「紅白歌合戦」に携わり、現在BSプレミアムで放送中の「AKB48 SHOW」を立ち上げた方です。NHKでめちゃくちゃ偉い人なのに、ファン以上にAKBに詳しい人として、ヲタたちの間で注目され(AKBの曲ばかりを流したFM特別番組でその豊富な知識を披露して一躍有名になりました)、2015年公開のドキュメンタリー映画「アイドルの涙 Documentary of SKE48」では監督もされています。そして本書では、AKBの被災地訪問活動に第一回目から帯同されていることも明かされています。
なんと、被災地ライブでのステージ台本は全て、石原さんが書かれているそうです。

AKB48グループは現在でも、公演やコンサート、イベントなどの合間をぬって、月に一回のペースで被災地訪問を続けています。あまり報道されないし、本人たちも積極的には言いません。現在では「AKB48 SHOW」で定期的に紹介されているだけだと思います。

1回目の訪問で岩手県大槌町と山田町を訪問し、現在の状況を見た僕たちはある決断をしました。「これが復興するためには長い時間がかかる。1回や2回訪問するのではダメだ」ということです。そこで「毎月1回訪問する。期限なし」という方針を決めました。(41ページ)

被災地ではなるべく現地にお金を落とすため、東北の会社に業務をお願いしているそうです。

会場の設営、誘導、警備などは仙台にあるニュースプロモーションという会社が担当してくれています。PAは山形にあるオトムミュージックという会社です。(42ページ)

盛岡駅から帰る時はメンバーは必ず「福田パン」を買う、というエピソードも紹介されています。
他にも、映画でも印象的な場面として使われた、女の子がステージ上の峯岸みなみに道端で拾った花を手渡す場面や、初参加した宮脇咲良の感想文(宮脇が知られるきっかけになったもの)、クリスマス会、復旧した三陸鉄道車内のライブ、成人の日ライブなどなど、多くのエピソードが紹介されています。
中でも多くのエピソードが綴られているのは、山田町の子どもたちとの交流と「ジオラマ」の話です。ジオラマ作成に最初から携わっているマブリットキバさんの寄稿も収録されていますが、意外なことにマブリットキバさんは最初「アンチAKB」だったというのです。

オマケにマブリットキバAKB48グループの活動に対してアンチ的な思想を持っていました。だからこそ被災地で活動すると聞いて良く思わなかったことは事実です。自分はこども達を守らなければならないと、この時は思っていました。だからこども達が感謝状を書こう、手紙をいっぱい届けようとした行動も絶対にメンバーさん達には届かないだろうと冷めた目で見ていました。

(中略)こども達は辛い現実から逃げようとしたAKB48グループアンチのマブリットキバに用心棒としての役割を与え、メンバーさんたちに会わせたのです。
マブリットキバはこども達の気持ちに応え今度こそ、こども達の夢を最後まで叶えようとジオラマを作るこども達の用心棒として勤めるようになったのです。(136〜137ページ)

2014年の握手会襲撃事件が起こった翌月、事件以降初めての被災地訪問もまた山田町でしたが、その時は現地の方々が大きな横断幕を作って逆にメンバーを励ました、というエピソードなど、ファンの間でもあまり知られていないエピソードもあります。中でも感心したのは、このエピソードです。

毎年3月11日はAKB48グループ全メンバーのスケジュールが白紙になっていると書きましたが、もうひとつ決まっていることがあります。毎年3月第1週に全メンバーにメールが届きます。それは「3月10日までにネイルや指先の飾りを落としてください」というものです。AKB48はアイドルなので、ネイルに装飾をつけたり、奇麗な色に塗っているメンバーもいます。ドラマの役柄などで、飾っているメンバーもいます。しかし、3月11日だけは装飾なしでライブをおこなっています。実は、この日のライブではピアス、イヤリング、指輪などの装飾品もすべてはずしています。そのことに気がつく人は居ないかもしれませんが、せめてもの心配りとして実施しています。(197〜198ページ)

AKBグループに被災地訪問活動は、今後もまだ続いていくでしょう。TVなどではほとんど知られることのない姿を本書で知っていただければ、AKBに対する印象も変わるかも知れません。

ピエール・ルメートルは絶対、『悲しみのイレーヌ』→『その女アレックス』の順に読め!

ピエール・ルメートルといえば、去年『その女アレックス】(文春文庫)の異例の大ヒットで話題になりました。

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)

今は「史上初!7冠達成!」だそうで、えーと、「このミス」1位、「週刊文春ミステリーベストテン」1位、「ミステリが読みたい」1位、「本屋大賞翻訳部門」1位、……までは分かるのですが……サイトによると、「IN POCKET」文庫翻訳ミステリ1位、「CWAインターナショナル・ダガー賞」(イギリス)、「リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞」(フランス)だそうです。うーむ、最後の2つはさすがに知りませんでした。
http://hon.bunshun.jp/sp/alex
それはともかく、とにかくすごい作品だったことがこれでお分かりだと思います。ところが、そこまで評判になると逆に読む気が失せるのが天邪鬼な私なのでありまして、実は『その女アレックス』、つい先日まで未読でした。どころか、どんな話かも全然知りませんでした。今となっては反省しています。いや、反省していません。……ん、どういうこっちゃ? と思われたでしょう。
この複雑な気持ちをこれから説明するのが、本稿です。


『その女アレックス』の評判を受けて、今年になってルメートル作品の翻訳・出版が続いています。まずは『死のドレスを花婿に』

死のドレスを花婿に (文春文庫)

死のドレスを花婿に (文春文庫)

実はルメートルの日本初紹介はこの作品でした。2009年に柏書房から刊行されたのですが、当時はさほど話題にならず。そのまま忘れ去られるところでしたが、『その女アレックス』がきっかけとなって再評価の機運が高まり、文庫されました。えーと私は本稿執筆時点では未読なので、感想等は書けません。


そして10月、全くタイプの異なる2作品が続けて出ました。まずは文春文庫から、『悲しみのイレーヌ』です。

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

実は私の初ルメートルは本書でした。まあ話題の人だし、どんなもんかいな、と思ったわけですね。先日も書いたように、今年はなぜか翻訳作品がたくさん読めてて、この流れなら読める、と判断したわけです。
そして読んでびっくり。これは超傑作ではないか! すごい! これがルメートルか! と感嘆しました。実に凄惨な連続殺人をカミーユ警部が捜査する話なのですが、、、おっと、ここからはネタバレになっちゃうので書けないのですが、特に本書は「本格ミステリ」としても高く評価できる作品だと思っています。なんなら今年は「本格ミステリ・ベストテン」でもかなり上位に来るのではないか、という予感もするほどなのです。
で、ラストが……うーむ、これも書けないけど、ここがタイトルに絡んでくるところなんだよなあ。まあ、そういう感じの話でして、なんとも言えないやり切れなさが読後に残るはずです。


そんな流れで、私は『その女アレックス』は未読の状態で『悲しみのイレーヌ』を読んだわけです。『イレーヌ』がこんなに面白いなら、あの噂の『その女アレックス』も読んでみようか、と手にして読んでみて、またまたびっくり。ああ、これは傑作だわ、話題になるわ。これもまたストーリーが紹介し難いのでほとんどしませんけど、冒頭のストーリーからは全く予想外の話に展開していくのです。


そして読みながら、ああ、これは『悲しみのイレーヌ』を先に読んでおいて良かった、とすぐに悟りました。だって、カミーユが前の事件を引きずり過ぎてますもん。あれから4年も経ってるのに立ち直れてなくて、しかも似たような事件に遭遇して捜査の勘が鈍ってるとか言われてるし。でもそれも、痛いほど分かるんですよね。そりゃそうだよなあ、とも思います。
逆に『アレックス』から『イレーヌ』を読むと、どうなる話か知ってる状態になってしまうわけで、その点ではちょっと残念ですよね。いや、メインのストーリーのネタバレではないので、充分面白く読めるとは思うのですが、でも、でもねえ。


なので私は断言します。ルメートルカミーユシリーズは、『悲しみのイレーヌ』→『その女アレックス』の順番で読むべし! と。
おいおい、『アレックス』あんなに売れちゃったんだから、そんなん無理だよ、ほとんどの人が読んでるよ! と突っ込まれてしまいましたが、そうなんですよね……仕方がないけど、それは不運だったというしかありません。一方で、『その女アレックス』まだ読んでないんだよねえ、という皆さんは、本当にラッキーですよ。あなたはこれから、衝撃過ぎる傑作を2作品も続けて読むことができるのですから!!


10月はもうひとつ、『天国でまた会おう』も出ました。早川書房のハードカバー版と文庫版上下巻の同時発売という破格の扱いです。

天国でまた会おう

天国でまた会おう

天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

天国でまた会おう(上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

天国でまた会おう(下) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

こちらはミステリ度はやや薄めですが、第一次大戦直後のフランスを舞台にした犯罪小説としても読める、これも傑作でした。終戦から実業家としてのし上がっていくプラデル、そのプラデルに戦地で殺されかけ(生き埋めにされた!)復讐心を抱くアルベール、そのアルベールの友人で壮大な詐欺計画をぶち上げるエドゥアール。彼らを中心とした群像劇です。どんでん返しのようなミステリ的な仕掛けはありませんが、ラストまで一気に読ませる小説です。フランスでは最高の文学賞ゴンクール賞」を本作で受賞しています。


出る作品出る作品が全て傑作のルメートル。まだまだ翻訳市場を席捲していきそうです。

島田荘司の御手洗潔シリーズの原点、ホームズパスティーシュの傑作『新しい十五匹のネズミのフライ』

島田荘司さんの最新刊、『新しい十五匹のネズミのフライ』(新潮社)を読みました。


あの島田さんがシャーロック・ホームズパスティース(贋作)に挑戦した作品です。語り手はもちろん、ジョン・H・ワトソン博士です。

本作で語られるのは、あの「赤毛組合」(「赤毛連盟」とも)事件です。ホームズものは長編短編合わせて60作ありますが、その中でも群を抜いてメジャーな作品でしょう。実は本書には、その「赤毛組合」の事件がまるまる収録されています。いわば、島田荘司訳の「赤毛組合」というわけですね。ホームズの推理で見事解決……したかに見えた事件ですが、実はそこからが本作のメインイベント。あの事件には続きがあった、あれは壮大な陰謀の始まりに過ぎなかったのだ……という話です。わくわくするじゃあ、ありませんか。後半のキーワードになるのが、タイトルにもなった「新しい十五匹のネズミのフライ」という謎の言葉です。その秘密は、本を詠んで確かめてみてください(ただ、そこまで引っ張るほどの謎かなあ、とは思いましたけどねw)。


本書の最大の魅力は、ホームズのパロディネタの数々でしょう。島田さんは熱心なシャーロッキアンとしても知られています。ほら、御手洗潔シリーズなんて、まさしくホームズっぽいじゃないですか。石岡和己という助手がいる点、事務所に依頼人が訪ねてくるところから始まるくだりなど、もうまんまですよね。


だからホームズ描写も最高で、一般的に知られる推理の天才像よりも、より人間性を重視した感じになってます。ホームズがコカインの常習者だったことは有名な設定ですが、コカインのやりすぎで幻覚を見たり精神に異常をきたし、入院するエピソードもあります。そこで出会う先生の名前がモリアーティ。そう、ホームズの最大のライバルの元ネタはここにあったのですw その時のホームズの様子を元にワトソン博士が創作した小説が「這う人」だった、という話になっています。さらに「まだらのひも」が生まれるきっかけになったエピソードも登場します。様々なホームズ周辺ネタが満載で、「赤毛組合」の事件のその後の真相が描かれ、「新しい十五匹のネズミのフライ」の謎まで織り込まれて、さらにはワトソン博士のラブロマンスまで入っている。一気に読み終えるころには、もうお腹いっぱいになっていることでしょう。


実は島田さんが書いたホームズのパスティーシュは本書が最初ではありません。その昔、漱石と倫敦ミイラ殺人事件』という長編を発表しています。

漱石と倫敦ミイラ殺人事件 (光文社文庫)

漱石と倫敦ミイラ殺人事件 (光文社文庫)


これもまた傑作でした。夏目漱石がロンドンに留学していた時に起こった奇怪な事件(男が一夜にしてミイラになる事件)に遭遇し、ベイカー街のホームズと一緒に事件解決にあたる、という話です。ホームズ周辺のネタもさることながら、夏目漱石から見たホームズの姿が面白おかしく描かれているのがポイントです。ロンドンの街にやたら背の高いお婆さんが歩いていて、どう見てもホームズの変装なのに、すれ違う人たちは見て見ぬふりをしている。そのホームズに声を掛けられた漱石は「いやあ、まったく気付きませんでしたよ」と相手を立てたリアクションをする、というくだりが最高でした。
なお、この『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』、残念ながら現在は品切れ。復刊を期待したいところです。


余談ですが、「ホームズと漱石が出会っていた」という設定の話には先例があります。山田風太郎の短編「黄色い下宿人」(光文社の風太郎ミステリー傑作選『眼中の悪魔』などに収録)です。こちらも興味があれば、ぜひどうぞ。

眼中の悪魔 本格篇―山田風太郎ミステリー傑作選〈1〉 (光文社文庫)

眼中の悪魔 本格篇―山田風太郎ミステリー傑作選〈1〉 (光文社文庫)

【翻訳】今年ここまでに読んだ海外小説(主にミステリ)のまとめ【今年は読んでる】

私はミステリマニアとして、もちろん海外作品もたくさん読んできたのですが、ここ数年、いや、ここ十数年レベルでも、ほとんど読めなくなってしまいました。年間通して読んだ海外作品は1作品だけ、ということもざらです。なぜ読めなくなったのかは自分でも謎でして、国内作品だけでいっぱいいっぱいなのかも知れませんし、本屋大賞向けにミステリ以外の小説も多く読むようになったので、手が回らなくなってきているのかも知れません。
ところが今年は、自分でも驚くほど読んでるのですよ。なんとここまでに13冊です、13冊! いや、13冊くらいで騒ぐなや、と海外ファンの皆さんには突っ込まれそうですが、一年で1冊くらいしか読んでなかったのが、もう13冊なのですよ。すごいではないですか。


というわけで、ここで今年の海外作品読書を振り返っておきます。なお、手抜きで申し訳ありませんが、感想は「読書メーター」の投稿をほぼそのままコピペしてます(感想を書いてなかった作品は新たに書きました)。また、それ以降の追記事項を加えた作品もあります。では、どうぞ!


フェルディナンド・フォン・シーラッハ『禁忌』

禁忌

禁忌

シーラッハ、相変わらず切れまくってる。前半のゼバスティアンが芸術家として成功していく過程だけでも面白い物語なのに、事件発生後は法廷物の傑作に変わり、大胆な離れ業的な真相に驚愕。そして物語が終わった後、さらりと書かれた「注記」が最大のサプライズ。すごいなドイツ。


イーデン・フィルポッツ『だれがコマドリを殺したのか?』

超入手困難本で私も実物を見たことのない作品が新訳で復活。プロットがしっかりしてて予想以上に楽しめた。さすがに現代だと、これ以上のジェットコースター的な展開に慣れているので、トリックにはあまり驚かなかったけれども。ただ、登場人物のキャラは立ってて、恋愛小説とミステリとの融合具合も良かった。黄金時代の本格として十分に価値があり、読むに値する作品だ。


ケン・リュウ『紙の動物園』

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

紙の動物園 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

世間の評判も納得の傑作SF短編集。表題作は感涙必至だし、他にも日本人が主人公だったり漢字が効果的に使われる作品もあって、日本人にも親しみやすい。思った以上にバラエティに富んでいるので、誰もが琴線に触れる作品に必ず出会えるはずだ。個人的には「太平洋横断海底トンネル小史」が良かった。2015年の最重要作品であることは間違いない。SFファンならずとも必読。
※『紙の動物園』はその後、予想外の形で注目されました。ご存知、芥川賞作家・又吉直樹さんがTVで「今読んでいる本」「夏休みの読書にお薦め」として紹介したのです。まさかハヤカワSFシリーズが飛ぶように売れる日が来ようとは……。もし今、本屋大賞の翻訳部門に投票するならこれかなあ、と実は思っています。


クリスチアナ・ブランド『薔薇の輪』

薔薇の輪 (創元推理文庫)

薔薇の輪 (創元推理文庫)

ブランドの初訳長編。障害を持つ娘との生活を綴った日記で一世を風靡している女優エステラの元にギャングの夫が娘に会わせろとやって来た時、惨劇が……訳が読みやすく一気に読めるし、なによりもブランドなので謎解きの面白さは保証済み。一部予測出来る部分もあるものの、よく考えられたプロットで感心した。タイトルの意味も深い。ブランド入門としてもお薦めできる、本格ミステリの傑作と言えよう。


エラリー・クイーン『中途の家』

中途の家 (角川文庫)

中途の家 (角川文庫)

かなり久し振りの読書になる新訳版。作品自体が古いためか、冒頭がちょっと取っ付き難くかったが、事件が発生してからは一気に読み進めた。そして解決編でのガチガチ本格推理っぷりには感動すら覚える。新訳でのフェアな配慮についても解説で書かれており、新訳の意義も感じさせてくれる。


ルネ・ナイト『夏の沈黙』

夏の沈黙

夏の沈黙

過去の秘密が書かれた本を発見する序盤からは想像もつかない方向に話が進み、意外な真相が明らかになる。一気に読めるサスペンス。


シェリー・ディクスン・カー『ザ・リッパー』

ジョン・ディクスン・カーの孫娘が書いた、現代の少女が切り裂きジャック事件当時にタイムスリップするSFミステリ。「あの事件の真相はこれだ」的な真相を推理する話ではないし、おじいさんの作風(不可能犯罪とか密室とか)をそのまま継いでるわけでもないので注意。事件の全貌を知っている状態でタイムスリップするので、周りと話がかみ合わなったり、現代に帰ると歴史が変わっている、などのネタもちゃんとあるので、細かい突っ込みは抜きにして、キャサリンの活躍を純粋に楽しめる。面白いよ。
※『ザ・リッパー』については別エントリでも書きました。


ヴァル・ギールグッド&ホルト・マーヴェル『放送中の死』

放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

放送中の死 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)

ラジオドラマの放送中に殺される役だった俳優が、その時本当に殺されていた……。アイデアは面白いし、作者は実際にBBCのラジオドラマに関わった人なので、リアリティは感じられるが、プロのミステリ作家ではないため、全体的に盛り上がりに欠ける。放送中に死んだシーンをリアルタイムで描いてないので、サスペンス性もイマイチ。ただ、解決編での推理はいかにも黄金時代のミステリの趣がある。余計なことだが、解説の森英俊さんが最近はまったアイドルグループって、誰なんでしょうか?


エラリー・クイーン『エジプト十字架の秘密』

エジプト十字架の秘密 (角川文庫)

エジプト十字架の秘密 (角川文庫)

EQの国名シリーズの中でも特に人気と評価の高い作品。例の手かがりから全ての謎が解かれる過程は何度読んでも素晴らしいが、変な宗教とかヌーディストとか、広い範囲が舞台になっている点など、読者を飽きさせない工夫もいろいろ入った作品なんだなあと改めて感じた。


トム・ロブ・スミス『偽りの楽園』

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

偽りの楽園(上) (新潮文庫)

偽りの楽園(下) (新潮文庫)

偽りの楽園(下) (新潮文庫)

スウェーデンの村で起こった出来事。嘘をついているのは、母か、父か? 前半、というか全体の3分の2くらいまでは、ダニエルと母親の語りが頻繁に交替するので、テンポ感はあるものの、物語に入り込み難かったのだが、それが終わってからの展開は一気だった。衝撃の真相を経て、後味が悪いような、いいような、なんとも言えない読後感が残る。


マーガレット・ミラー『まるで天使のような』

リノで無一文になったクインは、迷い込んだ謎の新興宗教の修道女から、ある男の消息調査を依頼される……心理サスペンスの名作が復刊。私は初読だが、噂通りの傑作だった。「最後の一撃」ものと分かっていても、思いもよらぬ結末には驚かされる。そこに至るまでの物語が実に面白く、読ませるからこそ、ラストが効果的なのだと思う。ミラーはほとんど読んだことがないが、追いかけなければならないと感じた。


エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事2』

怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

怪盗ニック全仕事(2) (創元推理文庫)

ホックの短編は安心して読める安定感がある。なので、だらだら読んでるだけでも充分楽しいが、怪盗ニックには「依頼者はなぜ価値がないものが欲しいのか」「ニックはどうやって盗むのか」などの謎解きポイントがいくつかあるので、本格ミステリ的にも楽しめる。なにもない部屋から盗めと言われる話や、何も盗むなと言われる話などの捻くれた作品が特に意外性が高くて良かった。ニックの仕事がスパイだと信じるグロリアとのサブストーリーも面白い。


ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』

あなたは誰? (ちくま文庫)

あなたは誰? (ちくま文庫)

ヘレン・マクロイの初訳初期長編。謎めいた冒頭から一気に読ませるストーリーで、本格ミステリでは扱い難いテーマを取り入れた上でちゃんと犯人当て小説になっており、意外性も伏線もあることに驚く。発表当時も衝撃だったろうが、今読むと「えっ、これで本格やるの?」と、当時とはまた違った受け止め方になっているだろう。登場人物が少なめなのも、読みやすい要因だと思う。


以上13作品です。
今読みかけている作品もあるし、この後も話題作が出そうなので、実際にはもう少し読みそうです。復刊に伴う再読も(主にクイーン作品)ありますが、ここ数年の復刊シーンはなかなか熱いものがありますね。
東京創元社さんの本が多いのは、まあ、諸事情込みです(ゲラや見本をいただくことがあるので)。でも面白いので読めている、というのが実情ですね。
そしてこのペースなら確実に、ベストミステリ投票で「海外部門」にも投票できそうです。そして、「本屋大賞」の翻訳部門にも堂々と投票できます! これが一番嬉しかったり。

袋とじを破るドキドキをあなたに……古今東西「袋とじ小説」

「袋とじ」という言葉には、なんだか淫靡な響きがありますね。「あの○○のヘアヌード!」みたいな週刊誌の袋とじページを破る時、丁寧に切りたいけどカッターなどが手元になければ、思わず指をカッター代わりにして切って(破って)しまう。男性なら一度は経験があることでしょう。


しかしここで紹介したいのは、(残念ながら)そういうのではないです。小説の結末などを隠してしまい、立ち読みさせない、読みたかったら買え、と言わんばかりの「袋とじ小説」です。あれもまた、なんとも言えないワクワク感があります。主にミステリで、解決編の前で袋とじになっているケースが多いのですが、そこで一旦立ち止まって、推理する時間を与えてくれるのです。
私がミステリを読んでいても、一番好きな趣向は「読者への挑戦」と、「袋とじ」ですね。作者から読者へ突き付けられた壁、という感じがいいんですよね。


そんな「袋とじ」小説で、近年話題になった作品がありました。泡坂妻夫『生者と死者』(新潮文庫です。

生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術 (新潮文庫)

生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術 (新潮文庫)


「ヨギ ガンジー」シリーズの一作として、1994年に刊行された新潮文庫オリジナル作品。2014年、このシリーズの前作にあたる『しあわせの書』を、NHKラジオ深夜便益子直美さんが紹介されたことがきっかけで書店で売れ、その流れにのって、技術的に重版が難しいので重版不可能、と言われていた『生者と死者』も重版されました。
この本、文章では説明しにくいのですが、パッと見は製本ミスのまま出荷された本のように見えるんですよね。16ページの束ごとに裁断されてないままの状態で本になってて、そのままの状態で読む(つまり、16ページおきに2ページずつ読む形)と、短編小説として読め、その後、その袋とじを破りながら読むと、長編小説になっているという、空前絶後の仕掛けがあるのです。今の段組み以外ではできないし、電子書籍化もできません。翻訳も絶対に不可能(まあ、柳瀬尚紀さんのような天才が海外にいれば、あるいは可能かもしれませんが……)、という作品です。
関連解説ページ:http://matome.naver.jp/odai/2139211152418871401


袋とじといえばもう一つ超有名作品があります。ビル・S・バリンジャー『歯と爪』(創元推理文庫です。

歯と爪【新版】 (創元推理文庫)

歯と爪【新版】 (創元推理文庫)


結末部分(本全体の5分の1くらい?)が完全に封がされていて、「ここで未開封のまま読むのを止めることができるなら、本代を返金します」という趣旨の注意書きがしてあります。本国版の趣向を東京創元社がそのまま取り入れたものですが、本当に返金に応じてくれるらしいです。実際に返金してもらった人も、いるとかいないとか……。なお、書店では返金には応じておりません。東京創元社へ持参(または郵送)してください。
バリンジャーはもともとこの趣向が好きなようで、本国版では『消された時間』なども結末部分が袋とじになっていたそうです。


あと日本で有名な作品では、島田荘司占星術殺人事件。現在では袋とじにはなっていませんが、一番最初に出たソフトカバー版では、「読者への挑戦」の箇所から袋とじになっていました。今でこそ島田さんはミステリ界のレジェンドですが、当時は右も左もわからない新人作家の、しかもデビュー作、それも乱歩賞に落ちた作品ですよ。そんな作品をよくも「袋とじ」で出そうと決断したものだと思います。


ここからは、袋とじのユニークなパターンをいくつか紹介します。


折原一『倒錯の帰結』(講談社文庫)

倒錯の帰結 (講談社文庫)

倒錯の帰結 (講談社文庫)

折原さんの初期叙述ミステリ「倒錯」シリーズの最終作。表側『首吊り島』と裏側『監禁者』のふたつの物語が真ん中で交錯するという趣向で、本の「真ん中」が袋とじになっています。折原さんには同じような趣向の『黒い森』(祥伝社文庫という作品もあります。


東野圭吾どちらかが彼女を殺した』(講談社文庫)

どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

国民的作家、東野さんの実験作のひとつ。事件の容疑者は二人ですが、なんとラストまで読んでも、真犯人の名前が明示されておらず、どっちが犯人かは読者が推理しなければならない、というものでした。初刊時(講談社ノベルス)では本当にそのまま、読者を放置した状態でしたが、さすがに文庫では文庫解説でヒントが書かれています。ただ、それを先に読んでしまってはいけないので、「解説が袋とじ」になっているという変わり種です。なお、東野さんはこのパターンを進化させた私が彼を殺したという作品もあり、こちらも同様に解説が袋とじになっています。



はやみねかおる『「ミステリーの館」へ、ようこそ』(講談社青い鳥文庫

大人の鑑賞にも耐えうるジュニアミステリとして有名な、夢水清志郎シリーズの一冊。袋とじの趣向をやってみたかったはやみねさんが満を持して放った作品ですが、これがすごいのは、袋とじの中にもうひとつ袋とじがある、二重の袋とじになっていることです。


筒井康隆残像に口紅を』(中央公論新社

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

これはミステリではありませんが、ぜひ紹介したい作品。
これも『占星術殺人事件』同様、現在の文庫版では袋とじの面影はありませんが、元版のハードカバーでは、第三部にあたる部分が袋とじになっていました。世界から活字が一文字づつ消えていく世界の物語で、使える字数がどんどん減っていき、最後はどうなるのか……というところが袋とじになっていたわけです。


最後に紹介したいのは、小説ではない?のですが、究極の袋とじ作品、アレイスター・クロウリーの『法の書』(国書刊行会

法の書

法の書

本文全てが袋とじになっていて、「開封して天変地異が起こっても知らないよ」的な但し書きがあります。なので、私も読んだことがありません。なお、『法の書』のWikipedia解説によると、この袋とじは日本版のみのギミックらしいです。


袋とじ作品、いろいろ探せばまだまだたくさんありますよ。ぜひ書店でみつけてみてください。それにほら、図書館本だとまず未開封のはずがないし、電子書籍に袋とじなんてないですからね!

井上真偽『その可能性はすでに考えた』をきっかけに振り返る、「毒チョコ」ミステリの名作たち

井上真偽『その可能性はすでに考えた』(講談社ノベルスを読みました。

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)

その可能性はすでに考えた (講談社ノベルス)


ある新興宗教で起こった教祖を含めた集団自殺。その事件で唯一生き残った少女が、そこで起こった「奇蹟」の真相を知りたい、と探偵・上苙丞(うえおろ・じょう)の元を訪れます。上苙は「奇蹟」を信じており、その出来事も奇蹟だったというのですが、それを否定するように次々と「論理的推理」が提示されます。上苙はそれらの推理を一つ一つ論破、「その可能性はすでに考えた」の名台詞とともに葬っていくのです。果たして事件の真相は? それは本当に「奇蹟」だったのか?
というストーリーを紹介すると、なんとも言えない「講談社ノベルス」感が漂います。もうまさにその通りで、いかにも講談社ノベルスが出した作品らしい世界で、驚くというよりも、読んでるとニヤニヤしてしまうようなタイプの小説です。


本書の醍醐味のひとつは、一つの出来事に対して、次々に新たな推理が展開されることにあります。それは一旦否定されるのですが、ではこれならどうだ、と新たな角度から違った推理が展開されます。こういうのをミステリの世界では「多重推理」もの、などと言いますが、特にマニアたちの間では「毒チョコ」と呼ばれることがあります。このタイプには有名な先例がいくつもありますが、特に有名な作品こそが、「毒チョコ」なのです。


「毒チョコ」、正式な作品名は『毒入りチョコレート事件』(創元推理文庫アントニイ・バークリーの代表作のひとつです。


元々は「偶然の審判」という短篇だったものですが、それを長編化したものです。短篇と長編では多重推理の数が違い、真相も変わっているのがミソです。


日本での有名作品は、中井英夫『虚無への供物』(講談社文庫)でしょうか。

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(上) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)

新装版 虚無への供物(下) (講談社文庫)


いわゆる「アンチミステリ」「黒い水脈」と呼ばれる日本3大ミステリのひとつで、ミステリへのアンチテーゼ的な世界観ばかりがクローズアップされがちですが、作中で起こった事件に対し、登場人物たちが何度か推理合戦を繰り広げる場面があり、それはまさに多重推理ものと言えるでしょう。


多重推理ものの作例はたくさんありますが、いくつか代表的なものと、最近の注目作を以下に紹介します。



・コリン・デクスター『キドリントンから消えた娘』(ハヤカワ文庫)

キドリントンから消えた娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

キドリントンから消えた娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫)


これも超有名作。「キドリントンから消えた娘は、生きているのか、死んでいるのか?」……モース主任警部の推理は二転三転どころか、四転五転……いったいどっちが真相なのか。読んでるうちに眩暈を覚えるはずです。。


貫井徳郎『プリズム』(創元推理文庫

プリズム (創元推理文庫)

プリズム (創元推理文庫)


このタイプの最高傑作だと私が思っているのが本書。本書の趣向については未読の方を配慮して詳しくは言えないのですが(ただの多重推理ではないのですよ)、私が初読の時、寝転がって読んでいたら、2話目の冒頭で思わず起き上がってしまった、というくらいの作品なのです(なんのこっちゃ?)。


西澤保彦『聯愁殺』(中公文庫)

聯愁殺 (中公文庫)

聯愁殺 (中公文庫)


これもかなり捻くれたミステリです。無差別殺人事件で生き残った被害者がその事件の真相を求めて推理集団の元を訪れます。それをネタに推理合戦を繰り広げるメンバーたち。次々に披露される意外な真相に眩暈がしてくるような作品です。



・深水黎一郎『ミステリー・アリーナ』(原書房

ミステリー・アリーナ (ミステリー・リーグ)

ミステリー・アリーナ (ミステリー・リーグ)


本書は最近発表された話題作であり、これまた相当に捻くれています。年末に放送され大人気を博している公開推理TV番組で、出演者たちが事件を推理していきます。分かった時点で解答可能、正解なら賞金20億、不正解ならそのまま退場。果たして真相は!? 本作全体が「多重推理」もののアンチテーゼになっているような作品でもあります。


なんとなくですが、近年の「毒チョコ」系作品は、ミステリのパロディの性質が高くなっているような気がします。『その可能性はすでに考えた』も、そんな方向性の極北なのかも知れませんね。

岡嶋二人(&井上夢人)の最高傑作は『おかしな二人』である

岡嶋二人は1982年に『焦茶色のパステル』江戸川乱歩賞を受賞してデビューした。ペンネームから分かるとおり、徳山諄一と井上泉という二人の人物による合作形式のミステリ作家だった。1989年のクラインの壺をもって「岡嶋二人」というコンビは解消された。その活動期間はわずかに7年間である。私は岡嶋二人がデビューした直後くらいにミステリにどっぷり嵌っており、岡嶋二人は大好きな作家だった。なので、その活動期間を数値にされると、妙な違和感を覚える。もっと活躍していたような気がしてならないのだ。


コンビ解消後は、井上泉は井上夢人というペンネームで現在も活動している。一方の徳山諄一は、一時期TV番組「マジカル頭脳パワー」の推理クイズの作成ブレーンだったことがあるが、それ以降、あまり活動はしていない。


近年、『99%の誘拐』の文庫が書店で再評価されたりもしたが、やはり過去の作家になりつつあるのは感じる。新作が出ないのだから仕方のないことだと思う。岡嶋二人の現役時代でも、ミステリファンの間では、「アヴェレージヒッターだが、飛び抜けた傑作がない」と言われていた。ぶっちゃけ、あまり売れなかった作家だったのだろうと思われる。もちろん、現在でも読まれるべき傑作はいくつもある。先に挙げた『99%の誘拐』は「人さらいの岡嶋」という異名を持っていた岡嶋二人のアイデアがふんだんに織り込まれた誘拐ミステリの傑作だし、『あした天気にしておくれ』『チョコレートゲーム』『そして扉が閉ざされた』『クラインの壺は今読んでも驚ける傑作である。
ちなみに「人さらいの岡嶋」という異名には、続きがある。「バラバラの島田」だ。当時、死体をオブジェのように扱い、バラバラにしまくっていた島田荘司を指している。新保博久さんが名付けたと記憶しているのだが、違っているかもしれない。
私は岡嶋二人の小説の最高傑作は、『あした天気にしておくれ』だと思っている。

あした天気にしておくれ (講談社文庫)

あした天気にしておくれ (講談社文庫)


井上夢人さんは、『ダレカガナカニイル・・・』がソロ第一作目で、その後も非常に面白いミステリを発表し続けている。最近文庫でヒットしたラバー・ソウル』『The Team』などの傑作がある。個人的には、『風が吹いたら桶屋がもうかる』も忘れられない。

風が吹いたら桶屋がもうかる (集英社文庫)

風が吹いたら桶屋がもうかる (集英社文庫)


そんな井上夢人さんの最高傑作は何か。いや、岡嶋二人時代も合わせても構わない。岡嶋二人井上夢人の作家キャリアの最高傑作として、わたしは断然、おかしな二人を紹介したいのだ。

おかしな二人 (講談社文庫)

おかしな二人 (講談社文庫)


おかしな二人』はサブタイトルに「岡嶋二人盛衰記」とある。これは、井上夢人さんが、岡嶋二人時代を振り返った回想録なのだ。前半は徳山諄一との出会いから、作家を目指して江戸川乱歩賞に応募をはじめ、何年かの挫折を経て『焦茶色のパステル』で受賞にいたるまで。そして後半はプロ作家になってから、岡嶋二人を辞めるまでが描かれている。プロデビューまでが「盛の部」で、デビューしてからが「衰の部」になっているところに注目したい。あれだけ憧れて何年も苦労した末につかんだプロ作家の道。そのデビューからが、実は転落の始まりだったというのだ。「衰の部」は小説現代の増刊号での連載だったが、この回想には少なからず衝撃を受けた。あんなに面白い作品を次々に発表していた岡嶋二人が、こんなに苦しみながら自転車操業のように発表していたなんて、と。ちなみにこの「衰の部」が連載されていた小説現代増刊号は、のちに「メフィスト」という誌名になる。


おかしな二人』は、特にミステリ作家を目指す人にとっては二重の意味で読む価値のある作品だ。ひとつは、この作品全体が「ミステリ小説の書き方」指南書になっていることだ。デビュー前の「盛の部」から、どうやってアイデアが生まれ、それをどう膨らませていったか、が事細かに書かれている。デビュー後はそれを常にやり続けなければならないことになるが、ネタをどう作り、どうやって面白くしていくかの作業が詳細に解説されているのだ。しかもその結果としての作品が残されているのだから、理想的な見本を読むことができるのである。ただし、かなりの岡嶋二人作品の「ネタバレ」になっていることは留意しておきたい(当たり前ではあるのだが)。


そしてミステリ作家を目指す人にとってお薦めできるもうひとつの理由。それは「プロ作家の厳しさ」が実感できるということだ。「衰の部」の冒頭、江戸川乱歩賞を受賞して講談社を訪問した二人を前にして、編集者が「受賞後第一作」を発注する場面がある。60枚の原稿を1週間で書いてこい、と言われて呆然となる二人。これから常に締切に追われる生活が続くことを痛感するのだ。これが現実である。それがプロ作家なのだから。


そして私のような「岡嶋二人のファンだった人」には、なんとも言えない哀しさを覚える作品でもあるのだ。これは「岡嶋二人」の内幕暴露話でもある。二人はコンビ作家であるがゆえに「どうやって二人で書いているのか?」と訊かれることが多かったという。本書ではその秘密が明かされているのだが、基本的に徳山諄一は「アイデアマン」に過ぎず、アイデアを形=小説にするのは井上泉の仕事だった。それを二人で推敲していくのが基本だったらしいのだが、その徳山のアイデアがなかなか出てこず、井上は何度かブチ切れる。当時始まったパソコン通信を連絡手段として使い始めるが、それでも遅々として進行しないスケジュールに苛立ちを覚える井上。そんな徳山が「一年で8作出す」という無茶苦茶なプランをぶち上げるのだから愕然とする井上。そんな井上が一人になる機会が増え、そのうち井上自身がアイデアを思いつき、それを膨らませていくケースが出てくる。井上のアイデア主導で生まれていったのが、岡嶋二人晩年の傑作『そして扉が閉ざされた』『クラインの壺』になっていくのだ。


やがて終わりは唐突に、驚くほど呆気なく訪れる。その経緯はぜひ本書をあたっていただきたいが、あの岡嶋二人がこんな状態だったなんて、そしてこんな形で終わってしまうなんて、というやり切れない思いが残るのだ。


最後のシーンは、コンビ解消前に約束していた週刊誌の連載を、どちらが担当するかを決める場面である。

 僕は、目の前のテーブルからマッチ棒を取り出した。中のマッチ棒をテーブルにあけ、適当につかんで徳山を見返した。徳山はうなづき「偶数」と言った。
 ひろげてみると、僕の右手がつかんでいたマッチ棒の数は奇数だった。
 それで、連載は僕が引き受けることになった。編集者たちは、あきれたような顔で僕たちを見ていた。(文庫版623ページ)

なんとも言えない虚しさが残る印象的な場面である。でもここで、もし徳山さんが書くことになっていたら、果たしてどうなっていたのだろう、とも思ってしまうけれど。